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人生大逆転物語YouTube・3回目「吉村秀雄(ポップ吉村)」


バイクが大好きだった私は1990年代前半、毎年7月最後の日曜日には鈴鹿サーキットに行っていました。
四大バイクメーカーに対抗して戦いを挑む「チーム・ヨシムラ」の走りを見るためでした。
工場の火災、アメリカでの失敗をバネに、常に町工場から世界一に向かって走り続けた姿に感動する20代の私の心には、すでに「中小零細企業魂」が植えつけられていたのでしょう。
(以下wikiより)
吉村は商売の足として使用していたオートバイに興味を覚え、1954年(昭和29年)にオートバイ屋「ヨシムラモータース」を創業する。英語が通じる吉村の店にはオートバイ好きの米兵が出入りするようになった。父親のような吉村の存在を米兵は「POP」と呼ぶようになった。板付基地で行われたドラッグレースに出場した吉村はオートバイの加速に飛行機の離陸に通じるものを感じた。吉村はレース用にオートバイのチューニングを手掛けるようになる。
1964年(昭和39年)には鈴鹿サーキットで行われたMFJ鈴鹿18時間耐久レースにおいてホンダ・CB72/CB77で優勝した。翌1965年(昭和40年)に吉村は九州から横田基地のある東京都西多摩郡福生町(現・福生市)に移り「ヨシムラ・コンペティション・モータース」を設立する。工場は後に秋多町(後の秋川市、現・あきる野市)に移転した。ヨシムラはホンダのS600やS800など四輪のチューニングも手掛けた。1971年(昭和46年)にはアメリカでのレースでCB750FOURに集合排気管を装着し、「ヨシムラの集合管」による脈動効果の有効性は大きなインパクトを与えた。
1973年(昭和48年)にアメリカ人パートナー、デール・アレクサンダーと50:50の出資比率でアメリカに「ヨシムラ・レーシング」を設立したが、後にこのパートナーにヨシムラ・レーシングを乗っ取られヨシムラ・レーシングに関する権利を放棄し、吉村は1975年(昭和50年)にアメリカで新会社「ヨシムラR&D」を設立した。乗っ取られた会社は後に倒産した。
1978年(昭和53年)、第1回鈴鹿8時間耐久ロードレースにおいてヨシムラのスズキ・GS1000がホンダ・RCBを破り優勝した。
吉村はレースにおいては1984年(昭和59年)まで監督を勤め、会社経営においては1989年(平成元年)[元号要検証]に会長に退くまで代表取締役社長を勤めた。

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